千葉県勝浦駅から徒歩7分【勝浦鍼灸院】
自律神経症状 起立性調節障害 頭痛
首・肩こり むちうち 寝違い 四十肩・五十肩
腰痛・坐骨神経痛 重度の慢性疲労 ほか
千葉県勝浦市墨名801-24 タウンズビル201号室
自律神経症状 起立性調節障害 頭痛
首・肩こり むちうち 寝違い 四十肩・五十肩
腰痛・坐骨神経痛 重度の慢性疲労 ほか
千葉県勝浦市墨名801-24 タウンズビル201号室
私は中学2年生の夏、当時14歳の頃に両眼の視力が瞬く間に低下し、視覚障害者(弱視)になってしまいました。
それまで、健常者だった私が、思春期の多感な時期に、今まで普通にできていたことが出来なくなってしまったのです。その時の私の悲しみ、苦しみ、絶望感は、言葉にできないほどです。
行ってみたい場所、見てみたい景色、体験してみたいことなど沢山ありましたが、ほとんど全て出来なくなってしまいました。
視覚障害があっても出来ることは多いのではないかと思うでしょうが、健常者にとって簡単なことが視覚障害者にとっては、それを叶える過程も非常に難しかったりするのです。例えそれが叶ったとしても「見えないので楽しくなかった。」という結果になることも多いですし、楽しかったとしても見えないので楽しさが半減するのです。
視覚障害者になって以来、常に私は、「どうやって楽に死ねるか。なぜこのように生まれてきたのか。なぜ生きているのか。」など、早く楽に死ぬこと、自分がこの世に生まれてきた意味などを日々悶々と考えていました。
皆が中学生活を謳歌するのをしり目に、ただ座っているだけの日々。常に頭の中は、「死にたい病」に侵されている状態でした。
高校は、普通学校に行くことは叶わず、千葉県立の千葉盲学校の高等部に入学しました。
卒業後の進路は、校内に按摩・マッサージ・指圧、鍼、灸を学ぶ専門課程があったので、そこに入学することを漠然と考えていました。
もちろん死にたい病が無くなったわけではありません。それを抱えながら前に進んできただけです。
視覚障害があるために辛い経験や、悔しい思いをする。そのたびに「本当にダメなら死ねばいいや。」と常に投げやりな気持ちでいたことは変わっていませんでした。
そんな日々の中、卒業生が講演に来てくださいました。
その方は、全盲の男性で、既に結婚され、奥様が一緒に来ていました。お子様もいるようで、とても幸せそうだったのが今でも印象に残っています。
「私も按摩・マッサージ・指圧、鍼、灸の資格を取得すれば人並みの生活が送れるかもしれない。両親(家族)を養っていけるかもしれない。」と初めて希望の光が差した感じでした。
その日を境にして私のやる気に火が付きました。
なんとか、同じ校内にある按摩・マッサージ・指圧、鍼、灸の専門課程である理療科に入学することができ、私の治療家としての人生の第一歩が始まりました。
入学して直ぐに分かったことは、鍼灸院開業はとても難しいと言うことでした。
健常者の鍼灸師の話ですが、開業しても患者さんが来なくて、直ぐに閉院となってしまい、会社員になる人が多いと言うことでした。
健常者なら、開業してダメなら会社員になる道もあるが視覚障害者ではそれも難しい。
私はこのような現実を知ったとき
『私にしか出来ないこと、私だからこそ出来ること。すなわち、他の追随を許さない圧倒的なオンリーワンの技術が必要である』と確信しました。
その日から、とにかく実践と経験を積んできました。
皆が早々に帰宅する中、校内に1人残り、納得いくまで学びを重ね、この限りある時間でやれることは全てやった。そう言い切れるくらい技術向上に全力を尽くしてきました。
無事に国家試験に合格し
卒業してから紆余曲折を経て
2004年の10月1日にここ勝浦にて開業しました。
しかし、私の心中は、生きる場所を求めて生きるのではなく、死に場所を求めて生きるというような人生が続いていました。
もがきながらも、ようやく2020年に大きな転機が訪れました。
それは、死にたい病から解放されたことです。
私は、ずっと死にたいと思いながら、それと同時に幸せになりたいと思って生きてきたことに気づきました。
それは、アクセルとブレーキを同時に踏んでいることに他なりません。
私はこのタイミングで、これからの人生をどうしたいのか、どうありたいのかを根本から考え直す必要に迫られました。
そのとき、閃いて、自分と全く同じ人間がいたらどうだろうかと考えるようになりました。
私は、自分に問いかけました。
「思春期の多感な時期に重度の視覚障害者となり、様々な困難を乗り越えてここまで這い上がってきた男、そういう男がいたら好きかどうか?」
すると『好きである』という答えが返ってきました。
「大好きか?」と問いかけたら、『大好きである』という答えが返ってきました。
「大好きだが、尊敬はするか?」と問いかけたら、
『とても尊敬する』という答えが返ってきました。
大好きでとても尊敬する人間がいたら、その人には死んでほしくない。生きていて欲しいという心の奥底から、歓喜の叫びが、湧き上がってきました。
私は止めどなく、涙が出ました。
それと同時に失われていた自尊心を再獲得することができ、自己肯定感、自信といったものが私の中で爆発しました。
私が私になった瞬間でした。魂が戻ったという言葉では、表現しがたい感覚に見舞われました。
私は、思いました。これは私一人の力ではない。「先生ありがとうね。ここに来て良かったよ。先生のおかげで治ったよ。」などなど、沢山の感謝の言葉をいただいていたことが元気玉となり、私の中に蓄積していたおかげだと思いました。
また、視覚障害者になってから、ずっと励まし、時に寄り添い、支え続けてくれた母親の無条件の愛情がなかったら私は今ここに生きていなかったでしょう。
本当に死のうと思って覚悟を決めた時、それを食い止めてくれた母の存在がなければ、私はこの世に存在していませんでした。
そして、私をこれまで、支えてくれた人たちのためにも、私は生きようと覚悟を決めました。
私が出来ることは、この仕事を死ぬまで続けて、
一人でも多くの方を治すこと、身体と心を楽にして、仕事や趣味、子育てや介護などが、快適に出来るようにすることが、私を復活させてくれた人たちへの恩返しになると確信しました。
私の治療は私の人生の全てが、思いの全てが詰まっています。
「一鍼一魂」思いを込めて鍼を打ちます。
それは単に数十秒、数分の出来事ではありません。私の生きてきた数十年が、そこにあります。
このホームページを閲覧して、自分の探し求めていた治療院だと確信したら是非私の治療を受けに来てください。
私は、30年間の苦しみを乗り越えて、人生を変えることが出来ました。次に変えるのはあなたの番です。
私の治療があなたの人生を良い方向へと変えることが出来たら幸いです。
よい出会いになれますよう楽しみにお待ちしております。
雑誌に掲載されました
わかさ 2020年12月号
わかさ 2020年12月号
妊活スタイル 2019年
Baby-mo 2018年-2019年冬春号
健康 2018年12月号
ひよこクラブ 2018年11月号
CREA 2018年10月号